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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
前の記事で
必ずしも自らが弾く運指や運弓と完全に同じではない録音やCDを繰り返しくりかえし聴き覚えてから演奏したりしていると、そこでは運指や運弓の問題は踏まえずに聞き覚えているという点で表面的に真似るだけで内容的なものは踏まえていないことになると書きましたが、そうした状況は音階練習においても見られることがあります。
それは
例えば、音階練習の教本として最も有名なカール・フレッシュ/スケールシステムの従来の版に対して
新しい版ではMaxRostal先生による校訂が付記されているものの
そのいずれの版もヴァイオリンの音階練習の教本であり、他の音階練習の教本もレベルが異なるだけで目的としては同じ観点で構成されています。ところが、ヴァイオリンの音階練習の教本がヴァイオリンの音階を練習する教本であることに気づかないままに音階練習をしている人達が居るのです。
と書くと
ヴァイオリンの音階練習の教本がヴァイオリンの音階を練習する教本なのは当たり前(笑)というよりも[重言]だと言われかねないので正確に書くと、ヴァイオリンの音階練習の教本はヴァイオリンの音階を練習する教本であって、そこにはヴァイオリンの音程の取り方は記されていないことに気づかないままにヴァイオリンの音階練習をしている人達が居るのです。そして、そうしたことの滑稽さは、ヴァイオリンの音階練習の教本を、算数の計算の問題集に置き換えることで何方にもわかるようになると思います。
つまり
先ず最初に算数の計算のやり方を十分に理解した上で、その計算のやり方を鍛えるのが計算の問題集であって、計算の問題集には計算のやり方は書かれていたとしても極めて簡略なもので、書かれていないことも少なくありません。そして、計算の問題集を解き続けていれば近い数値や時には正解を書くことが増えるとしても、計算のやり方がわかっていなければ、それは偶然の延長線上に過ぎません。さらに、せっかく文明の利器が有るのだから…と電卓を使って答えを確認したところで結果の確認に過ぎず、計算のやり方は学べない…というよりも、計算のやり方を学び鍛える際に電卓を使うことは無意味で余計なことでしかありません。ましてや、計算のやり方を学ぶ際に、例えば鉛筆の持ち方だの、机の座り方だの、数値に関する考え方と称する講釈を垂れたところで、それは正しい数値を記すためには無関係ではないとはいえ、計算のやり方の説明ではありません。というよりも、計算のやり方も教えずにそんなことを論じている先生が居るとすれば、それは十中八九計算のやり方を知らないことは明らかで、そんな先生に算数を習っても無意味ですが、そんな先生は居るはずがありません(笑)
そうしたことはヴァイオリンの音階練習でも全く同じで、先ず最初にヴァイオリンの音程の取り方を十分に理解した上で、その音程の取り方を鍛えるのが音階練習の教本であって、音階練習の教本には音程の取り方は書かれていたとしても極めて簡略なもので、書かれていないことも少なくありません。そして、音階練習の教本を弾き続けていれば近い音程や時には正しい音程を弾くことが増えるとしても、音程の取り方がわかっていなければ、それは偶然の延長線上に過ぎません。さらに、せっかく文明の利器が有るのだから…とチューナーを使って音程を確認したところで結果の確認に過ぎず、音程の取り方は学べない…というよりも、音程の取り方を学び鍛える際にチューナーを使うことは無意味で余計なことでしかありません。ましてや、音程の取り方を学ぶ際に、例えば弓の持ち方だの、楽器の構え方だの、音程に関する考え方と称する講釈を垂れたところで、それは正しい音程で弾くためには無関係ではないとはいえ、音程の取り方の説明ではありません。というよりも、音程の取り方も教えずにそんなことを論じている先生が居るとすれば、それは十中八九音程の取り方を知らないことは明らかで、そんな先生にヴァイオリンを習っても無意味ですが、そんな先生は居るはずがありません(笑)
と思いきや
算数で計算のやり方もわからずに計算の問題集を解き続けて、徐々にそれっぽい数値になって来たと喜ぶ…などという人は居るはずがないのに、ヴァイオリンで音程の取り方もわからずに音階練習の教本を弾き続けて、徐々にそれっぽい音程になって来たと喜ぶ…という人は現実に居たりするのです。そして、計算のやり方も知らずに兎に角といて解いて解きまくって徐々にそれっぽい数値に近づける…などという人は決していないのに、音程の取り方も知らずに兎に角ひいて弾いて弾きまくって徐々にそれっぽい音程に近づけているような人達が、アマチュアのみならず音大卒生やプロのなかにも大勢居る現実は、笑うに笑えません。
では
何故そのような滑稽な状況が現実に存在するかといえば、算数の計算よりもヴァイオリンの演奏のほうがはるかに難しいからです。そのため、算数の計算の場合は、計算のやり方を学んで多少訓練を積めば誰もが正しい数値を導けるようになるため、計算が合わないのは計算のやり方がわからないからではなく計算ミスということになります。それに対して、ヴァイオリンの演奏の場合は、音程の取り方を学んで多少練習を積んだ程度では誰もが正しい音程で弾けるようにはならないため、音程が合わないのは音程の取り方がわからないからなのか演奏ミスによるものなのかが一般の人には区別が付き難いので、音程の取り方も知らずに演奏している人達の存在が見過ごされてしまうのです。
さらには
算数の計算のやり方は、それが修得できないと日常生活に支障が現れるので、計算のやり方を教えずに…というよりも知らないが故に鉛筆の持ち方だの、机の座り方だの、数値に関する考え方と称する講釈を垂れる先生など存在するはずがないのに対して、ヴァイオリンの音程の取り方は、それが修得できなくても日常生活に支障が現れ難いために、ヴァイオリンの音程の取り方を教えずに…というよりも知らないが故に弓の持ち方だの、楽器の構え方だの、音程に関する考え方と称する講釈を垂れる先生も存在できてしまえるのです。そして、そうした指導者は具体的な音程の取り方を知らず習わず教えられない代わりに抽象的な[音色]だの[音楽]だのといった言葉を口にします。しかしそれは、具体的な調味のやり方を知らず習わず教えられない代わりに抽象的な[食味]だの[風味]だのと言っているようなもので、それではそれっぽいだけで実際には似て非なる料理しかできなくなってしまい、前の記事で書いたように表面的には如何にもそれっぽく見えるものの実際には似て非なる料理でしかない[九州らーめん よっちゃん]と同じ末路を辿ることになるのです。
ということで
調味のやり方も教えず学ばずに[食味]だの[風味]だのと言っているのは情緒の世界で遊んでいるだけでしかなく(笑)[食味]や[風味]を導くための味付けのやり方こそが料理を学ぶ人達にとっては必須の学習対象であるのと同様に、音程の取り方も教えず学ばずに[音色]や[音楽]だのと言っているのもまた情緒の世界で遊んでいるだけでしかなく(笑)[音色]や[音楽]を導くための音程の取り方こそが演奏を学ぶ人達にとっては必須の学習対象であることは言うまでもありません。
そうしたなか
ヴァイオリンの音程の取り方を学び、ヴァイオリンの音階練習の教本で音程の取り方を鍛え、そうしたことが修得されている前提でヴァイオリンにおける演奏の手順や方法を規定する要因のひとつである運指や運弓を作品に対して細かく記したのが校訂譜です。そして、ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタのヘンレ版の校訂譜には、運指や運弓がMaxRostal先生によって事細かく記されているだけではなく
ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタのヘンレ版の楽譜を用いる人は勿論のこと、もしもその版の楽譜を用いない人においても、ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタを演奏する総ての演奏者にとって必読の書となっています。ですから私もこの著作に記されているように、その理由の一つひとつを総てヘンレ版の楽譜に記入し、その記述の示すところを一つひとつ考えながら学び奏でるようにしました。さらに、MaxRostal先生が校訂されている他の譜面も同じ観点で読み込むことで、必ずしもMaxRostal先生が校訂していらっしゃらない楽曲の譜面においてもRostal先生と全く同じ考え方で運指と運弓を導き、そのうえで自らの演奏におけるやり方を決められるようになれました。また、それでもなお不明な点を後年ご本人に直接詳しく伺えた際には、気難しい先生で決められた時間でレッスンを終えてしまわれると聞いていたにもかかわらず、私の質問が的確であったからなのか、或いはたまたま機嫌が良かったからなのか(たぶん後者だと思います(笑))何日も何回も予定の時間を大幅に越えて気さくに詳しく教えていただけたことは、私とって今なお日々の演奏と指導に直接役立ち続けています。
Mas Rostal BARTOK BEETHOVEN BRAHMS
RETOROSPECTIVE 8400
カール・フレッシュの助手を務めたことから冒頭で掲げたようにスケールシステムの校訂譜も著し、ヨーロッパの弦楽指導者協会の会長としてアマデウス弦楽四重奏団やベルリン・フィルのコンサートマスターをはじめとする多くの名演奏者を育てただけではなく、ご自身も名演奏者でいらしたMaxRostal先生ご自身によるベートーヴェン/ヴァイオン・ソナタの録音は、CDとしては上掲に収録された『クロイツェル・ソナタ』しか聴けない現状は、非常に残念で仕方がありません。
私が嘗て師事した故・鷲見三郎先生からも、故・鷲見四郎先生からもよく「岩本さんは考え過ぎ」と注意されましたが(笑)そのような私の為体とは比較にならない次元でのこととはいえ、MaxRostal先生による校訂内容に対して同様に「考え過ぎ」という発言をされた世界的な名演奏者にして名伯楽である先生に後年出会い、その先生によって著されたMaxRostal先生とは正反対の考え方による、それでいて素晴らしい校訂譜の存在を知るとともに、その名伯楽の弟子からも素晴らしい楽譜を教えてもらいましたが、それについては次の記事に書きたいと思います。
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