001 メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲

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提琴有情 フランチェスカッティ CD ヴァイオリン教室 バイオリン レッスン

私のホームページのプロフィールでも書いたように

 中学の時点でいわゆるISE(International Standard Etudes)と呼ばれるカイザー、クロイツェル教本、パガニーニ/24のカプリースなどのエチュードを修得しただけではなく、その後は怪我の後遺症も無く、NHKのクラシック音楽の番組や各種放送(テレビ、ラジオ等)にも出演していました。

けれども

 そうした日々を送るなかで、私の演奏には未だまだ足りないものがあると感じ始めていたなか、その放送局での仕事は専ら渋谷ということもあり、そこから近い原宿にお住まいの元NHK交響楽団の故・平野正雄先生の門を叩いて更なる研鑽を積むことにしましたが、平野先生には驚かされることばかりでした。

それは

 近衛秀麿の楽団から楽歴をスタートされ、NHK交響楽団の前身の新交響楽団からNHK交響楽団とヴァイオリンひとすじの人生を送られたなかでは、東京大空襲で都心が焼け野原になった直後の日比谷公会堂でのベートーヴェン/第9交響演奏にも参加されるなど、その凄まじいまでの楽壇経験から、私は“おっかない”先生を想像していたのです。

ところが

 原宿の南国酒家の裏手にお住まいとは聞いていたものの、初めて電話をすると平野先生が「場所が判り難いから、南国酒家の所まで出ていてあげましょう」と仰られるほど気さくでお優しい先生で、レッスン室もどこかのアンティークショップかと見紛うばかりに先生が集められた小物が沢山飾られていることに加えて、奥様が「主人がこんなに散らかすから、掃除と片付けが大変なんですよ」と仰りながらお茶を運んでくださる様子には、まるで私は近所の気のいい御爺さんのお宅にお邪魔したような錯覚を覚え、自分が“おっかない”などと思っていたのとは程遠い様子に、すっかり寛いでレッスン受け始めることができたのも、逆の意味で驚かされる最初の出来事だったと言えるかもしれません。

 

けれども

 私が既述のように主なレパートリーは修得済みということで、平野先生は楽器の製作技術メンテナンス技術指導と平行して、近・現代の作品を私にレッスンしてくださったのですが、そんなある日「岩本さん、プロコフィエフのこの作品は、実はプロコフィエフ自身は、こう弾いて欲しいと言っていたんだよ」と仰るので「平野先生はプロコフィエフにお会いになったことがあるのですか?」と尋ねると「そうだよ」と仰られるのには、これだけの楽歴をお持ちの方であれば当然だとは思いました。ところが更に、しばらくしてストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏レッスンを始めると、「いやぁ、楽譜にはそう印刷されているけれども、ストラヴィンスキー自身はこう弾いて欲しかったんだよ」と仰りながら、何やら鉛筆で修正が施されている楽譜を出されるので「これも平野先生がストラヴィンスキーに伺ったのですか?」と尋ねると「ストラヴィンスキーが来日してN響を指揮した時に、この協奏でわからないところをご本人に訊いたら、こうやって書いてくれたんだよ」とのことで、レッスンしている譜面台に無造作に置かれたこのの譜面の書き込みはストラヴィンスキー自身によるものだということを知った私は、譜面が見難いので、先生が席を外された時に思わず書き込みの一部を消しゴムで消さなく本当に良かったと思いました(笑)

  

というだけでも

 もう既に平野先生には驚かされることばりだったのですが、驚きはそれだけではなかったのです。

それは

 ある時、先生のお宅の門を入ったところで既にバッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータからソナタ第1番のフーガの演奏が微かに聞こえてはいたものの、先生のお宅の玄関を入って左側のレッスン室に向かう時点で、これは尋常ならざる巧さだと思いながら静かにレッスン室の扉を開けると、もうこれ以上ない程の…という表現しかできないような素晴らしいフーガの演奏を、私よりもやや小柄で日に焼けたおじさんが弾いている後ろ姿が見え、平野先生がレッスンしているこの人は誰なのかなぁ~と思いながらレッスン室の長椅子に腰かけつつ、そのおじさんの顔を覗き込んだ時に、私は思わず長椅子から転がり落ちそうになりました。

というのは

 このおじさんは誰かなぁ~などと思っていた、そのおじさんとは、バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータの名演奏でつとに有名なヘンリク・シェリングだったからです。しかも、シェリングに平野先生がレッスンをつけていらっしゃる…とはいえ、何しろ相手は初心者ではないので(笑)平野先生は細かく止めて直すというよりも、一弾き通してもらってみてから意見を言うスタイルを取られていたので、先生のレッスン室の至近距離でシェリングのバッハの無伴奏が聴き放題という信じられないような体験をしました。

が、しかし

 気づいてみれば、私もその日には平野先生からバッハの無伴奏をレッスンしていただくことになっていたので、もしかすると平野先生は私にこの場でバッハの無伴奏のレッスンを…、いや流石に平野先生もかのシェリングさんのいるところで私にバッハの無伴奏を弾けとは仰らないだろう…、という二通りの予想を私はしました。ところが、予想は何れでもなく、平野先生は「偶には違う人からレッスン受けてみるのもいいでしょう」と仰り、その日私は、人間というのは僅か数時間で数kgも体重が減る程冷や汗をかくことがあるのを知りました(笑)

そして

 シェリングさんとの話というよりもシェリングさんからのレッスンは、その日に留まらないばかりか、シェリングさん以外のマエストロからの指導の機会も得ることになったのですが、それについてはまた別の機会に書きたいと思います

 

ということ

 平野先生にしてみれば何ことはない日常でしかないのでしょうが、私にしてみれば驚きの連続であった日々が1年と少し続いた時に、平野先生は実は最初レッスンの時に「私は忙しいので、しばらく教えてみて、その後に岩本さんに最適な先生を紹介します」と仰られていたこともあり「岩本さんの様子がだいたいわかりましたので、最初の約束通り、別の先生を紹介します」と言われた時には、これで平野先生からレッスン受けられなくなるのか…と残念に思いつつも「でも、次の先生ところに通いながら、私のところに来てもかまわないですよ」と仰っていただけたことから、私はその後数年間は、紹介していただいた先生と平野先生の二人の先生のもとに通うという、今思い返しても、一体全体、いつ仕事をし、いつ勉強をしたのか…ということはおぼろげながら思い出せるものの、いつ食事をし、いつ寝たのか…ということは思い出せないほどの日々を送ることになります。

けれども

 それでもその当時を少しも辛いとも苦しいとも思わなかったのは、平野先生が紹介してくださった先生のレッスンだけではなく、平野先生からも平行して受けられたレッスンの、その何れもが素晴らしかったからに他なりませんが、その時、平野先生の口から出た先生のお名前が「岩本さんは、スミさんのことはご存じですか?」というものだったのです。ですから私が「スミというのは、あの“鷲”(わし)という字に“見”(みる)と書く、名教師の…」と言いかけると、「そう、私よりも年上なのが三郎さんなので、スミさん、私よりも年下なのが四郎くんなので、スミくん、と私は言ってます」と仰られた平野先生は引き続き「基礎はスミさん、演奏はスミくん、ということで、先ずスミさんに師事してみるといいと思いますよ」と仰りながら紹介していただいたのが、かの歴史的名教師の故・鷲見三郎先生だったのです。

ところが

 ほどなくして三郎先生がお亡くなりになってしまわれたことから、まさに「基礎はスミさん、演奏はスミくん」ということで、平野先生が引き続き紹介してくださったのが故・鷲見四郎先生だったのですが、三郎先生と四郎先生(門弟達は尊敬を込めて今でもそう呼びますが、両先生に師事した人は殆ど居ないと思います)との数限りない思い出についても、また別の機会に書きたいと思いますが、こうして平野先生から鷲見三郎先生と鷲見四郎先生を紹介いただいたことこそが、私の人生で平野先生にお会いできたことと並ぶ衝撃的な驚きだったと思っています。

 

そして

 三郎先生に師事できた期間の何倍もの歳月を、平野先生と四郎先生の両先生に師事しました。けれども、ある日の最後の生徒さんのレッスンの際に「今日は疲れて眠いから少しだけ早く終えます」と平野先生は仰られた後にレッスン室の隣の部屋で横になられたそうですが、平野先生はそのまま帰らぬ人となってしまわれました。

そうしたことから

 私は両先生に師事していた時間の総てを、今度は四郎先生に教えていただく時間につぎ込んだこともあり、日によっては朝から晩まで四郎先生のお宅に居させていたたいたことがありました。そして、私は食事は固辞して近くのファミリーレストランのランチで済ませるようにしていたものの、朝から晩まで指導受けるだけではなく、時には四郎先生のアシスタントや下稽古のようなことまでしている私を気遣ってくださった奥様が「若い人は沢山食べなきゃだめ」と仰られて半ば強引に3人で夕飯に出かけたフレンチレストランのフルコースを、ご高齢の先生と奥様が敢えて沢山注文されたうえで「私達はもう食べないから」と料理を私に回してくださるお心遣いに胃袋をフル活用して応えた(笑)以上に、普段は無口でいらした四郎先生が次から次にと語り教えてくださったヴァイオリン演奏方法だけではなくアウアー派直系の指導方法には頭脳をフル活用して徹底して学び続けられたことは、私の一生の財産となっています

そんなある日

 四郎先生がNHK・時事新報社音楽コンクール(後の毎日音楽コンクール、現在の日本音楽コンクール)の第1回のコンクールでメンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏弾いて優勝されていることを知っているだけに

提琴有情 ヴァイオリン教室 バイオリン レッスン

『提琴有情』日本のヴァイオリン音楽史 松本善三著

(P.149に詳しい記述があります)

 「先生にとって一番素晴らしいと思われるメンデルスゾーンの協奏は誰の演奏の録音ですか?」とお尋ねしたところ「私も納得のいく録音は聴いたことがないんです」と仰られたことから、私が“これは!”と思う録音を機会がある度にお持ちしていましたが、何しろ冒頭でいきなりクライマックス(笑)とも言える有名な旋律が奏でられるヴァイオリンの名中の名弾いて現在の日本音楽コンクールの第1回の優勝者となられた名演奏者にして名教師たる天才ヴァイオリニストの四郎先生を納得させられるだけの演奏は簡単に見つかるはずもなく、殆どの演奏において冒頭のフレーズを数秒聴かれただけで「いや、これは…」と首を横に振られるばかりの日々が続いていました。

そうしたなか

 殆どの演奏において冒頭のフレーズを数秒聴かれただけで首を横に振られていらした四郎先生が、ある録音の冒頭だけでは数秒+2秒程度(笑)だけ長く聴かれてから「いや、やっぱり…」と仰られたのが下掲のCDだったので

フランチェスカッティ(ヴァイオリン)セル指揮クリーヴランド管弦楽団 1961年録音 ヴァイオリン教室 バイオリン レッスン

フランチェスカッティ(ヴァイオリン

セル指揮クリーヴランド管弦楽団 1961年録音

フランチェスカッティ(ヴァイオリン)セル指揮クリーヴランド管弦楽団 1961年録音 消費税3% ヴァイオリン教室 バイオリン レッスン

(価格の表示の消費税が3%なところに時の流れを感じます)

 ならばということで今度は下掲のCDをお持ちしたところ

フランチェスカッティ(ヴァイオリン)ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル 1954年録音 ヴァイオリン教室 バイオリン レッスン

フランチェスカッティ(ヴァイオリン

ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル 1954年録音

 もとより先生のレッスンの空き時間にお聴きいただいているとはいえ、先生のレッスン室の奥の壁一面を占めている当時としては極めて斬新なオーディオ装置のボリュームを少しあげられた先生が、ハラハラと涙を流されながら1最後まで聴き通されて一言「岩本さん、メンデルスゾーンのコンチェルトは、こういうふうに弾くんだよ」と仰られた時のことは、まるで昨日のことのよう…どころではなく、たった今しがたのことように鮮明に覚えています

(ちなみに、フランチェスカッティによる1961年の録音は今でも買えるものの1954年のCDは廃盤になってしまっているうえに、ネットで配信されいる1954年の音源は鮮明であるのに何か音がおかしいことについても、いずれ機会が有れば書きたいと思います

 

そして

 そうしたフランチェスカッティの名演奏の録音に触発されたのか、四郎先生は私が既に主な協奏は総て修得済みであることを承知のうえで「メンデルスゾーンの協奏レッスンしましょう」と仰られ、私としては特にこのは10代や20代の頃にオーケストラ伴奏でも何度も演奏しているなだけに、決して侮っていた訳ではないとはいえ多少の自信を持ってレッスンに挑みました。

が、しかし

 その冒頭の有名なフレーズで四郎先生は

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリン教室 バイオリン レッスン

 と弾いただけで何度も「違う!」と演奏を中断されたばかりか

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリン教室 バイオリン レッスン

 と弾いただけでも「違う!」と仰られたのです。

ということについては

 当時の私は最初は面食らったものの、すぐに理由がわかり直すとともに、私の生徒さんにこの名レッスンする際には、四郎先生が指摘された理由を事細かく説明することで、見違える…ならぬ聴き違えるほど素晴らしい演奏になるのを今でも耳の当たりならぬ目の当たりにする度に、四郎先生が現在の日本音楽コンクールの第1回の優勝者になられた理由の一端を知る思いがします。

と同時に

 『鷲見三郎/ヴァイオリンのおけいこ』でも綴られているように

鷲見三郎 ヴァイオリンのおけいこ ヴァイオリン教室 バイオリン レッスン

鷲見三郎/ヴァイオリンのおけいこ

 アウアーの高弟のシフェルブラット先生から四郎先生がレッスンを受けた時の様子を三郎先生が学ばれたことを、私は三郎先生と四郎先生のそれぞれから伺っています。そして、そうした内容も含めてメンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲の弾き方を話すと、私の周囲の指導者やプロの演奏者が「なるほどぉ~…」と頷く度に、私は歴史的名教師や名演奏者の教えを橋渡しできた思いがしていますが、残念ながら文才の無い私には、そうした内容を、このブログの短い記事中には上手く認められないのが残念です。

そして

 そうした歴史的名教師や名演奏者の教えを、これからも一人でも多くの人に伝えられれば…と思いながら、このCDに耳を傾けることもありますが、そうした時に、ふと振り返ると、今でも四郎先生がそこに座っていらっしゃるような思いもして、ハッとさせられることがあります。

提琴有情 フランチェスカッティ CD ヴァイオリン教室 バイオリン レッスン

ところが

 このCDにはもう一つ重要な価値が有ったのですが、それについては

 次の記事に書きたいと思います。

 


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