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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
ヴァイオリンにおいて
その音程の取り方は長年の叡智により確立されていて
例えば私のサイトの
『Scales by Simon Fischer』でも掲げた
Scales by Simon Fischer(サイモン・フィッシャー/スケールズ)の
Scales by Simon Fischer
How to tune each note of the scaleの項目でも、そうした長年の叡智を踏まえた
(上掲の譜例の画像はHow to tune each note of the scaleの一部です)
また
例えば私のサイトの
『Double Stops by Simon Fischer』でも掲げた
Double Stops by Simon Fischer(サイモン・フィッシャー/ダブル ストップス)
では
Double Stops
Scales and scale exercises for the violin
Simon Fischer
リスナーでたまたまヴァイオリンが弾ける者がレスナーをしたりしていると
プレーヤーとしてのヴァイオリンの音程の取り方の手順や方法など知らないために
頭の中で鳴っている音程…だの、音程の概念を頭に作る…だのという
噴飯ものの妄言を語り(笑)それがソルフェージュなどと話を掏り替えたりします。
けれども
ソルフェージュは音符や音程の認識のための目安としての手掛かりでしかなく
『“音階”は「基礎」であって「基本」ではない』で書いたように
だいたいの手掛かりさえあれば、あとは感覚で求める音程は取れるというのは
それは恰も最寄り駅がわかれば、あとは山勘で目的地に着けると言っているのと
同じようなもので
その場所への道順がわからなければ、求める場所には着けないように
その音程の取り方がわからなければ、求める音では弾けないままで終わるだけで
また
フラジオレットは正しい左指の位置でなければ響かないことが知られていて
自然ハーモニクスを響かせる際には、頭の中の音ではなく指の位置で音が鳴り
技巧ハーモニクスの際の指の幅でも、頭の中の概念ではなく指幅が決まり
これも、頭の中の音や概念ではなく、実際の音で響くか響かないかが決まります。
例えば
『ヴァイオリンの重音の音程の取り方 ~その2~』で書いたように
重音の音程もまた[差音]を聴くことによって定められるもので
これも、頭の中の音や概念ではなく、実際の響きを聴取して音程を取るからこそ
既出の
『Double Stops by Simon Fischer』でも掲げた
Double Stops by Simon Fischer(サイモン・フィッシャー/ダブル ストップス)
では
ヴァイオリンで重音の音程を正しく取れた際に聴くことができる[差音]が
音符として掲出されています。
そして
ヴァイオリンの音程の取り方は長年の叡智により確立されているからこそ
既出の
『Scales by Simon Fischer』でも掲げた
Scales by Simon Fischer(サイモン・フィッシャー/スケールズ)の
How to tune each note of the scaleの項目でも、そうした長年の叡智を踏まえた
ヴァイオリンならではの音程の取り方の最低限のルールが掲げられていて
音程は頭の中の…ということはヴァイオリンの音程の取り方としては有り得ませんが
音程は頭の中の…という考え方が噴飯ものだとわかる最たる例はアンサンブルで
アンサンブルは実際に出ている自分の音と相手の音を聴き合うことで成立するので
さらに
頭の中の音を聴くとなるとアンサンブルでは相手の頭の中の音もわかる必要があり
リスナーでたまたまヴァイオリンが弾ける者がレスナーをしたりしていると
プレーヤーとしてのヴァイオリンの音程の取り方の手順や方法など知らない代わりに
自分だけでなく他人の頭の中の音も聴ける超能力が身に付くのかもしれません(笑)
また
私のサイトの音大生 演奏者 指導者の方へのレッスンのページにも書いたように
初心者や学習者だけではなく、指導者や演奏者に対するレッスンも行っていて
指導者に対するレッスンでは、既述のような音程の取り方を指導することもあれば
「音楽的な設計」での「リズムの生命感」や「音の魅力」を具体的に指導しましたが
リスナーでたまたまヴァイオリンが弾ける者がレスナーをしたりしていると
ヴァイオリンの音程の取り方など知らないことを隠すための話の掏り替えとしてのみ
「音楽的な設計」だの「リズムの生命感」や「音の魅力」と抽象的に語るばかりで
2/2拍子なのに4/4拍子に聞こえてしまうような指導しかできない…というより
挙句に
玄人のプレーヤーとしての経験が無く一音ずつ丁寧に積み重ねたことなどないので
何でもいいからまずはやってみる…などという暴言を平気で口にしたりしますが
建物の建築でも一つひとつ正しく積み重ねないと曲がってしまうように
一度でもおかしな癖が付いてしまうと、直すのが大変になってしまうか
ということで
音程の取り方がわからないからと話を掏り替え捲る既述の事例は酷過ぎるものの
ヴァイオリンで響きを聴いて音程を取る方法は長年の叡智により確立していて
その習得には正確な知識と緻密な観察に基づく訓練の反復が必須にもかかわらず
そうした指導を受けられない者や、そうした指導を受けたことがない者が巷に溢れ
兎に角ひいて弾いて弾きまくって徐々にそれっぽい音程に近づけているような人は
アマチュアのみならず音大卒生やプロのなかにも大勢居るという現実があります。
すると
そのように一音ずつ具体的な手順に基づいて音程を取り続けることで最終的には
このブログで何度も書いているように
生徒さん方がヴァイオリンの響きで音程が取れるようになるのに伴って
「そうそう、天麩羅を揚げているような音が(微かに)聞こえますね」と言ったり
「そうそう、線香花火の音が(微かに)聞こえますね」と言って褒める
それは
例えば私のサイトの
『~KAYSER 36 ETUDES~(カイザー ヴァイオリン練習曲)』でも書いたように
カイザーは初心者が学習するエチュードとしてよく用いられるものの
後々学ぶクロイツェル教本などをも凌ぐ非常に演奏が至難な課題も含まれるため
全曲を単純に通して弾かせてしまうことは却って基礎的な演奏技術の習得を阻害し
全体を何巡も繰り返し弾かせたりすると初心者の演奏技術の荒廃を招くので
それぞれの学習者に有益な課題を慎重に取捨選択して学習する必要があります。
何故なら
クロイツェル(Rodolphe Kreutzer)が1766年~1831年の人であるのに対して
カイザー(Heinrich Ernst Kayser)は1815年~1888年の生年と没年なので
もしもクロイツェルの最晩年にカイザーが会っていたとしても少年でしかなく
さらにクロイツェルと相談してカイザーがその前段階の教本を作った史実もなく
勿論、クロイツェルを分析してカイザーがその入門編の教本を書いた形跡もなく
カイザーの課題を取捨選択するとクロイツェル教本よりも入門的なものが多いので
さらに
そのクロイツェル教本についても私のサイトの
『~KREUTZER 42 STUDIES~(クロイツェル教本)』で書いたように
ガラミアン校訂譜(インターナショナル版)のフィンガリングは
初心者が初めて学習するのには不向きな箇所も少なくないので
何れもボスワース版を用いていますが、随所に誤植が見られます。
けれども
『~ŠEVČÍK OPUS 1 PART 1~』のページにも書いたように
ŠEVČÍKは、その学習者が学習すべき箇所を抜き出し、それを活用しながら練習する
いわば「辞書」のようなもので
ŠEVČÍKを、番号順に学び進める…などという使い方は、
あたかも国語の授業で辞書を
あ
ア
ああ
あああ
………
などと読み進めてしまっているようなもので
そのような使い方では、つまらなく辛いだけではなく、指導の効果も得られず
そのため番号単位ではなく小節単位(時には半小節など)で範囲指定することから
誤植の箇所を避けたり、誤植もまた短いフレーズとして活用することさえできます。
それに対して
既掲の
『主な使用教材 ~エチュードを中心として』のページは
文字通り“主な使用教材”を掲げただけで
そのページには掲げていないものの
ŠEVČÍK OPUS 1 PART 1 と併用して活用することもあるのが
SCHRADIECK The School of Violin-Technicですが
SCHRADIECK The School of Violin-Technicは、ŠEVČÍKとは異なり
いわば「用例集」のようなものなので
そのため番号単位であったり、最低限でも数小節から数段を範囲指定する教材です。
ŠEVČÍKでは、誤植の箇所を避けたり、誤植も短いフレーズとして活用できますが
SCHRADIECKは誤植の箇所は避けられず、誤植を放置したままレッスンで使用すると
それこそ「音楽的な設計」だの「リズムの生命感」や「音の魅力」などは学べず
それでは「音我苦的誤謬」での「リズムの狂乱感」や「音の混濁」を招きます。
SCHRADIECK The School of Violin-Technicは日本では
カール・フィッシャー版や、シャーマー版が入手可能ですが
カール・フィッシャー版でもシャーマー版でも誤植が見られ
カール・フィッシャー版では見られる誤植が、シャーマー版には見られなかったり
シャーマー版では見られる誤植が、カール・フィッシャー版には見られなかったり
両方の版の譜面が同一の箇所でも、両方の版ともに誤植である箇所さえありますが
SCHRADIECK The School of Violin-Technic
左がCARL FISCHER版 右がSCHIRMER版
カール・フィッシャー版では見られる誤植が、シャーマー版には見られなかったり
シャーマー版では見られる誤植が、カール・フィッシャー版には見られない箇所は
両方の版を照らし合わせれば誰にでも単純に発見することができますが
両方の版の譜面が同一の箇所でも、両方の版ともに誤植である箇所を見つけるには
和声進行の観点から考える必要があります。
と同時に
SCHRADIECKでは和声進行がその背景で考えられるべき重要な要素でもあるので
シュラディークの課題に和声を見出しながら指導しているのであれば自ずと
シュラディークの誤植の発見につながる筈なのです。
ということで
ヴァイオリンの先生にも様々な人が居て、得手・不得手はあるので
もしかすると音程の取り方の手順を教えず、頭の中の音…と言っていたり
もしかするとカイザーで課題を選択はせず、全体を何巡もやらせていたり
もしかするとクロイツェル教本でインターナショナル版をそのまま使わせたり
シュラディークでカール・フィッシャー版の誤植が不明でそのまま使わせたり
する人が居るかもしれません。
とはいえ
幾ら何でも上記の総てが当て嵌まるような先生?など『まさか』居ないでしょうし
それ以前に上記の総てが当て嵌まってなお先生?とは『まさか』言わないでしょうが
「人生には、上り坂もあれば下り坂もあります。もう1つあります。
『まさか』という坂があります。」と言った人も居るので、もしかすると…
ヴァイオリンの本来の音程の取り方も知らずわからず教えられないままで
頭の中の音…だの、エチュードを何巡だの…としながら“音色”だの“音楽”だのと
それっぽく(笑)語られ
クロイツェル教本ではインターナショナル版をそのままの運指で使わされたり
シュラディークではカール・フィッシャー版の誤植も直さずにそのまま
それらしく弾かされているだけでは音楽とは名ばかりの狂った演奏しかできず
ヴァイオリンごっこ(笑)としてのままごとになってしまいます。
(西麻布教室の近くにあった看板です)
この看板を面白く感じるのは
『イワンのばか』というトルストイの小説などで知られるキャラクターを捩って
『ワインのばか』と命名しているに違いないからですが
『イワンのばか』を知らない人がこの看板を見ても面白さがわからないのと同じで
ただ単に好きで習うだけで趣味で気楽に弾くだけと思っているのではなく
せっかく好きで習い始めて真剣に学び奏でたい…と思っていたヴァイオリンで
リアリティとして本来のヴァイオリンの奏法や音程の取り方を習えている人に対して
イメージとしてそれっぽく(笑)語られ、それらしく奏でるだけになっている人は
そのようにして失った人生の時間は返ってこないが故に
というよりも
そもそもこのブログはブログの目次のページにも記したように
レッスンを申し込まれる判断材料として
レッスン方針・レッスン形態のページなどとも併せてご覧いただくために
書いているものですが、それすらさえ通じることなく
このブログを眺めて悦に入るだけ…という方も居るようなので(笑)
既述のようなことを書いてみたところで、通じないのかもしれません。
残念です。
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