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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
つまり
暗記…というと丸憶えだけのようですが、それは明確な基準への準拠を意味し
積算…というと掛け算だけのようですが、そこに加算の計算法も含まれ
積算…というと掛け算だけのようですが、それは除算の計算法にも繋がり
除算…というと割り算だけのようですが、そこに引算の計算法も含まれ
にもかかわらず
9×9=81で確定!…とは教えず、それは「過度な完璧主義」で
「悪いところを減らす」「気づいたらまずまず解けるように」とし(はぁ?(笑))
算数的“概念”の構築がスキルの習得には大事で時間がかかるとし(はぁ?(大笑))
明確な基準や計算法は教えず、問題を何度も読んで憶える…などとしていると
以前解いた問題をしばらく放置していたら忘れて…などということになりますが
そしてこれはヴァイオリンでも全く同じことが言えて
例えば
『温故知新 ~その2~(調弦を正しく行うために)』の記事で書いたように
調弦や重音の際の音程は[差音]を聴くと教えれば、時間も余計な手間も不要で
それを踏まえて音程の取り方を習えば、時間が無い人も最短で確実に習得できます。
にもかかわらず
調弦や重音の音程は[差音]で確定!…とは教えず、それは「過度な完璧主義」で
「悪いところを減らす」「気づいたらまずまず弾けるように」とし(はぁ?(笑))
音楽的“概念”の構築がスキルの習得には大事で時間がかかるとし(はぁ?(大笑))
音程の明確な基準や取り方を教えず、楽曲を何度も弾いて憶える…などとしていると
と思いきや
音程の取り方など教えず習わず、楽曲を何度も弾いて憶える…ということばかりして
曲を進めるというより、技術習得という名目で進捗を楽しませている某メソードや
さらには
音程の取り方など知らず教えず、曲を進めることより…などと言っておきながら
実際はエチュードをある程度で次々に弾かせ、それを反復させることにより
曲は進めていないと話を掏り替える某メソードの弊害を進化?させた先生も居ます。
そして
兎に角ひいて弾いて弾きまくって徐々にそれっぽい音程に近づけているような人が
アマチュアのみならず音大卒生やプロのなかにも大勢居るという現実があるなか
リスナーがたまたま少しヴァイオリンが弾けるというだけでレスナーをしていると
大人は部分を順に完成させていくより荒削りでも全体を…などという
教えかたをするしかないのです。
けれども
以前の記事で掲げたように紙を二つに折る際に
大人は端を綺麗に折り合わせるよりも荒削りでも全体を…などということは有り得ず
老若男女とも端を折り合わせるように丁寧に折って行くべきであって
もしもそれを端を折り合わせるように丁寧に折らないと
ということと全く同じで
大人は部分を順に完成させていくより荒削りでも全体を…などということは有り得ず
老若男女とも部分を順に完成するよう丁寧に復習っていくべきであって
もしもそれを部分を順に完成するよう丁寧に復習っていかないと
建物の建築でも一つひとつ正しく積み重ねないと曲がってしまうように
一度でもおかしな癖が付いてしまうと、直すのが大変になってしまうか
ですから
以前の記事で書いたように、私のレッスンで
例えば標準的な生徒さんに対する指導内容を箇条書きにしてみると
自作のウォーミングアップの教材 その1(音程の取り方も学ぶ)
自作のウォーミングアップの教材 その2(音程の取り方も学ぶ)
自作のウォーミングアップの教材 その3(音程の取り方も学ぶ)
自作のウォーミングアップの教材 その4(音程の取り方も学ぶ)
自作の右手の教材 その1 (音程の聴き方も学ぶ)
自作の右手の教材 その2 (音程の聴き方も学ぶ)
自作の右手の教材 その3 (音程の聴き方も学ぶ)
自作のビブラートの教材 (音程の聴き方と取り方も学ぶ)
自作の左手の教材 その1 (音程の取り方も学ぶ)
自作の左手の教材 その2 (音程の取り方も学ぶ)
ŠEVČÍK のある巻のある部分 (音程の取り方も学ぶ)
ŠEVČÍK の別の巻のある小節 (音程の取り方も学ぶ)
ŠEVČÍK の別の巻のある小節 (音程の取り方も学ぶ)
ある音階練習教本のある小節 (音程の取り方も学ぶ)
ある音階練習教本の他の部分 (音程の取り方も学ぶ)
YSAŸE の音階教本のある部分 (音程の取り方も学ぶ)
YSAŸE の音階教本の別の部分 (音程の取り方も学ぶ)
YSAŸE の音階教本の別の小節 (音程の取り方も学ぶ)
YSAŸE の音階教本の別の部分 (音程の取り方も学ぶ)
CARL FLESCH 音階のある部分 (音程の取り方も学ぶ)
CARL FLESCH 音階の別の部分 (音程の取り方も学ぶ)
エチュード (1曲全部ではなく、時には数段や数小節)
課題曲 (楽章全体ではなく、時には半分や数十段)
という内容でレッスンしているのは
箇条書き…というよりも
過剰過ぎ…と思われるかもしれません(笑)
各音の「正確な音」を「具体的」に一つひとつ認識し確認しながら
エチュードと課題曲までの部分の総量は、エチュード1曲分程度しかありませんし
エチュードと課題曲それ自体についても、半分や数段や数小節ずつを徹底して復習い
エチュードと課題曲の部分も含めて総て、数週間~数か月にわたり同一内容に留め
部分ぶぶんで確実に仕上がらなければ一音たりとも先には進めず
部分ぶぶんで着実に習得していくので、課題としては決して過剰ではありません。
上掲のなかのエチュードを選択する場合にも
その学習者にとって、何がその時点で最も必要な練習と課題であるかを考えますが
それは患者にとって、何がその時点で最も必要な治療と投薬であるかを考えるのと
全く同じだといえます。
具合が悪いので病院に診てもらいに行き、患者が医師に幾許かの要望をしたり
医師が、治療や投薬に何が必要か診断し、患者に治療の選択肢を示すことはあっても
患者が、治療で使うべき薬や、特に治療を行うべき点や問題点を指示して治療させる
などということは有り得ないのと同じで
演奏が悪いので教室に習いに行き、生徒が先生に幾許かの要望をしたり
先生が、指導や練習に何が必要か判断し、生徒に指導の選択肢を示すことはあっても
生徒が、指導で使うべき曲や、特に指導を行うべき点や問題点を指示して指導させる
などということも有り得ないのです。
そうした点で
嘗て師事した鷲見三郎先生は、課題曲としていきなり楽譜を渡されたものの
その楽譜を選ぶために先生は何日もなんにちも検討し探されていましたし
嘗て師事した鷲見四郎先生は、課題曲を選ぶべく楽譜棚の前に立たれて
2分、3分…どころではなく、時には10分、20分以上も思案され
その生徒が、その時点で何を学ぶべきか、その次に何を習得すべきかを踏まえ
課題曲の選定には全身全霊で挑まれていました。
いかに診察し、いかに投薬し、いかに治療するかが医師の力量であるように
いかに観察し、いかに選曲し、いかに指導するかがヴァイオリンの先生の
力量であり、専門性を問われる瞬間でもあることは言うまでもありません。
もっとも
ヴァイオリンのレッスンは、病院での診察や治療ほどには一般的でないので
生徒が「レッスンのご要望等」をするのは、患者が医師に希望を伝えるのと同じでも
生徒が「レッスンご希望の曲」を示すという、患者が医師に投薬を指定するかの如き
それではまともな治療はできない、ままごとのごときヴァイオリンごっこ(笑)も
もしかすると現実に繰り広げられていたりするのかもしれません。
TREATMENTの際には、先ずX-rayを撮ることがよくある以上に問診は必ず行うように
レッスン の際には、ヴァイオリンの場合最初に必ず行うのが調弦であることから
医師においては、問診にどれだけ緻密に耳を傾けられるかで治療の良否が決し
患者においては、問診にどれだけ熱心に耳を傾けているかで医師の良否がわかる
のと同じように
先生においては、調弦にどれだけ緻密に耳を傾けられるかで指導の良否が決し
生徒においては、調弦にどれだけ熱心に耳を傾けているかで先生の良否がわかるので
さらに
病状や通院歴にかかわらず、問診を行わずに席を外したりトイレに行く医師など
居る筈もない…というより、そのような行為は診察において有り得ないのと同じで
レベルや学習年月によらず、調弦を検分せず席を外したりトイレに行く先生も
居る筈もない…というより、そのような行為は指導において有り得ないのですが
もしかすると調弦を検分せずに…という先生も居たりするのかも…とも書きました。
専門知識のない患者でも、問診の際の医師の様子で、その治療の質がわかるように
専門知識のない生徒でも、調弦の際の先生の様子で、その指導の質がわかり
ヴァイオリンの調弦を、如何に学ぶことができているか、すなわち
ヴァイオリンの調弦を、如何に指導してもらえているか、ということが
総てを決すると言っても過言ではないと思います。
このブログでも
その[差音]が重音の音程の取り方で重要であることを
その[差音]が調弦をする際に非常に重要であることを
その[差音]を聞き取れるようにするための指導の例を
『[差音]と[加音](さらに正確に調弦を行うために)』で書きましたが
その最後の記事中でも書いたように
[差音]はヴァイオリンの重音だけでなく調弦の際でさえも必要なことなので
についてまで言及する先生がいれば、その先生は相当優秀な指導者です。
[差音]は調弦を正しく行い、重音の音程を正しく取るだけではなく
[差音]の響きに耳を傾けることは、すなわち楽器の響きに耳を傾けることで
[差音]の響きを発生させる、すなわち重音の音程の純正律に注意が向き
つまり冒頭で
私は算数の専門家ではないので、算数で何が究極の練習課題なのかはわかりませんが
九九は相当程度、基礎を鍛える練習課題になるような気がしている…と書きましたが
しかも
そのように、調弦の際に[差音]を響かせるには、正しい運弓も必要となり
ヴァイオリンの音程をよく聴くには、充分かつ正しく楽器が響いている必要があり
ヴァイオリンの調弦を正しく行うことはヴァイオリンの演奏上必須であり
ヴァイオリンの調弦を正しく行わないヴァイオリンのレッスンは有り得ないので
もっとも
ヴァイオリンの開放弦を完全5度で調弦する際の既掲のような原理など知らず習わず
それっぽく(笑)2弦を重音で弾いてみて、それらしく響けばOK!という為体の
調弦する際の[差音]の現象ではなく、聞き取る方法や手順を訊いてみることで
自分の先生はキチンと教えていると思ったら、実は弾きまくらせているだけだった
自分の先生はT朋或いはG大卒の先生なのに、実は弾きまくっていただけだった
自分の先生は海外の○○音大に留学したのに、実は弾きまくっていただけだった
自分の先生は有名オーケストラの団員なのに、実は弾きまくっていただけだった
という現実を知ることになるかもしれません。
とはいえ
そもそもこのブログはブログの目次のページにも記したように
レッスンを申し込まれる判断材料として
レッスン方針・レッスン形態のページなどとも併せてご覧いただくために
書いているものですが、それすらさえ通じることなく
このブログを眺めて悦に入るだけ…という方も居るようなので(笑)
既述のようなことを呼びかけてみたところで、通じないのかもしれません。
残念です。
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