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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
何故なら
[ミ]と[ラ]の間では、3-2 =1の振動となる音が生じるとともに
[ラ]が2の振動なので、2の半分=1は[ラ]の1オクターブ下を意味し
[ミ]と[ラ]の開放弦を同時に弾いて、[ラ]の1オクターブ下の音も鳴る状態が
次に
[ラ]と[レ]の開放弦を完全5度で調弦する際には
[ラ]と[レ]の間では、3-2 =1の振動となる音が生じますが
[レ]が2の振動なので、2の半分=1は[レ]の1オクターブ下を意味し
[ラ]と[レ]の開放弦を同時に弾いて、[レ]の1オクターブ下の音が鳴る状態が
次に
[レ]と[ソ]の開放弦を完全5度で調弦する際には
[レ]と[ソ]の間では、3-2 =1の振動となる音が生じますが
[ソ]が2の振動なので、2の半分=1は[ソ]の1オクターブ下を意味し
[レ]と[ソ]の開放弦を同時に弾いて、[ソ]の1オクターブ下の音が鳴る状態が
けれども
以前の記事で書いたように
ヴァイオリンの銘器を貸し出している楽器店の店員さんが
鷲見四郎先生のところに複数の銘器を持参して、生徒さんが試奏してみる際に
店員さんは時間をかけ、それはそれは熱心に調弦してから手渡してはいたものの
脇で聞いていた私には、どうしてその状態の調弦で終わりにするのか?と感じられ
まず店員さんが一挺を調弦して生徒さんに渡すと、生徒さんが調弦し直して試奏し
次に店員さんが一挺を調弦して生徒さんに渡すと、生徒さんが調弦し直して試奏し
また…というところで今度は私が調弦して渡すと、生徒さんはそのまま試奏したのも
その店員さんは開放弦を完全5度で調弦する際の既述のような原理など知らず習わず
そうしたなか
前の記事で
医師においては、問診にどれだけ緻密に耳を傾けられるかで治療の良否が決し
患者においては、問診にどれだけ熱心に耳を傾けているかで医師の良否がわかる
のと同じように
先生においては、調弦にどれだけ緻密に耳を傾けられるかで指導の良否が決し
生徒においては、調弦にどれだけ熱心に耳を傾けているかで先生の良否がわかるので
さらに
病状や通院歴にかかわらず、問診を行わずに席を外したりトイレに行く医師など
居る筈もない…というより、そのような行為は診察において有り得ないのと同じで
レベルや学習年月によらず、調弦を検分せず席を外したりトイレに行く先生も
居る筈もない…というより、そのような行為は指導において有り得ないのですが
もしかすると調弦を検分せずに…という先生も居たりするのかも…とも書きました。
加えて
問診を行わずに席を外したりトイレに行くような医師などやぶ医者に違いないように
調弦を検分せず席を外したりトイレに行くようなヴァイオリンの先生は
調弦=重音で、既述のように1オクターブ下の響きを聴くといった
響きを聴いて音程を取るヴァイオリンの基礎的なルールさえも知らないに違いなく
つまり
重音におけるヴァイオリンの音程の取り方のルールは指導しない…というよりも
重音におけるヴァイオリンの音程の取り方を知らずわからず習わずに教えているので
それっぽく(笑)語り、それらしく(笑)弾いてみせることしかできないのですが
それではヴァイオリンのレッスンなどではなく、ヴァイオリンごっこをして
遊んでいるだけだといえます。
既述のようにカイザーの20番はカイザーで唯一の重音の課題曲であるだけでなく
既掲のようにその冒頭の重音の音程だけでも既述のようなルールが存在するので
そうした説明をせずに、それっぽい(笑)だけで正しく教えていないような先生は
音程のルールも知らずにそれっぽい(笑)レッスンをしているだけなので
ヴァイオリンの調弦における完全5度が正しい音程となった状態も説明できず
ヴァイオリンのエチュードのカイザーの20番の重音の音程のルールも教えられない
そのような為体の先生?のもとでヴァイオリンを習ってしまっている有様は
作法をわかっている師匠が間違えたのを真似する古典落語の『本膳』どころではなく
https://ja.wikipedia.org/wiki/本膳
音程の取り方もわからない先生の指導に盲従する亡者たちの『余喘』のようで
ヴァイオリンを好きで習い始めて真剣に学びたいと思っている人達であればあるほど
気の毒で仕方がありません。
そうしたことから
いくらなんでも調弦を検分せず席を立ったりトイレに行くような先生は論外でも
ヴァイオリンの調弦で完全5度が合った際の響きの説明も知らずわからずできずに
ヴァイオリンの先生をしているような者のところは今すぐにでも辞めることにして
今までのレッスン料を返して欲しい…と申し出てみるべきです。
もっとも
既述のような調弦の音程の取り方も知らずわからず、それっぽく(笑)調弦させて
既述のような重音の音程の取り方も知らずわからず、それっぽく(笑)練習させる
そんなことを平然としていた先生が、今までのレッスン料を返す筈もないでしょうし
今まで払ったレッスン料を返してもらえたとしても
今まで失った人生の時間は返ってこないのですが…
ということで
イメージとしてそれっぽく(笑)語られ、それらしく奏でるだけの人達というのは
生徒のレベルや学習年月によって、調弦を検分せずに先生がトイレに行ったり
ですとか
ですとか
などと書いていると
ヴァイオリンにおいて2弦が完全5度で調弦できた際の既述のような原理など知らず
それっぽく(笑)2弦を重音で弾いてみて、それらしく響けばOK!という為体の
ヴァイオリンごっこに興じているだけの人がウジャうじゃ居るので
「[差音]は一応知っているけれども、ヴァイオリンの奏法でそんなに重要か?」
という声も聞こえてくるのかもしれません。
Napoléon Bonaparte(1769/ 8/15~1821/ 5/ 5)
それは
ある貴族の女性が臨月になり、ナポレオンに謁見を願い
「生まれて来る子供をあなたのような立派な人にするには、どうしたらいいか?」
と尋ねると
これから子供が生まれるというのにナポレオンは「手遅れだ」と言ったそうで
理由は
「生まれて来る子供を立派な人にするには、先ずその親を立派に教育しておかないと
駄目だから」と言ったそうです。
その話からすると
生まれて来る子供=生徒
子供を育てる親 =先生という構図になり
正しくヴァイオリンを弾くためには、正しく教えてくれる先生に習う必要があり
ナポレオンの話に準えれば、立派に教育されたヴァイオリンの先生なら
Wolfgang Amadeus Mozart(1756/ 1 27~1791/12/ 5)
生まれて来た子供=かの有名なモーツァルト
子供を育てた親 =レオポルト・モーツァルトで
これもまたナポレオンの話に準えれば
モーツァルトがあれほどの天才作曲家となれたのは
モーツァルトの親が優れていたからだということになるとともに
さらには
モーツァルトの父親であるレオポルト・モーツァルトはヴァイオリン教師で
モーツァルトの父親こそは天才作曲家のモーツァルトを育てたという点で
最高の音楽教師であったといえます。
Giuseppe Tartini(1692/ 4/ 8~1770/ 2/26)
Johann Georg Leopold Mozart(1719/11/14~1787/ 5/28)
その『ヴァイオリン奏法』のなかでも
重音の音程の取り方における[差音]が譜例とともに掲げられており
Double Stops Scales and scale exercises for the violin
Simon Fischer
レオポルト・モーツァルトが[差音]も取り上げている『ヴァイオリン奏法』は
1756年に出版されているのに対して
サイモン・フィッシャーが[差音]を列記した『Double Stops』は
2016年に出版されています。
そうしたことから
前の記事の最後で
260年以上も前に海外で書かれたヴァイオリンの教本が新訳として刊行され
その教本の内容の一部が、昨年出版された別の教本に通じるものがある点で
まさに温故知新だと感じました…と書きました。
どうでしょうか?
[差音]というものは、ヴァイオリンの調弦の時点で既に考慮されるべきものであり
[差音]については、 モーツァルトの父親の本でも取り上げられているものであり
[差音]を聞くことで、総ての調の重音が定められるフィッシャーの教本も出版され
それでもなお既述のように
「[差音]なんていうのは、聞いたことが無いし知らないぞ!」ですとか
「[差音]は一応知っているけれども、ヴァイオリンの奏法でそんなに重要か?」と
言っていられるでしょうか。
上記のようにヴァイオリンの重音を弾く際に[差音]が必要などということの以前に
既述のようにヴァイオリンの調弦をする際も[差音]が拠り所になっている以上
その際
すぐに[差音]の音程の高さを認識することができない場合には
まずは[差音]で和音の響きが変化することに気づくように指導しますが
そのようにして
もしも[差音]の有無による響きの違いなり[差音]の音程自体に気づいてしまうと
下掲で“矢印”が有ることに気づいた後には“矢印”が忘れられないのと同じで
もっとも
そもそもこのブログはブログの目次のページにも記したように
レッスンを申し込まれる判断材料として
レッスン方針・レッスン形態のページなどとも併せてご覧いただくために
書いているものですが、それすらさえ通じることなく
このブログを眺めて悦に入るだけ…という方も居るようなので(笑)
既述の[差音]についても、そういうものがあるらしい…で終わってしまうのかも
しれません。
残念です。
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