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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
私のレッスンで
例えば標準的な生徒さんに対する指導内容を箇条書きにしてみると
自作のウォーミングアップの教材 その1(音程の取り方も学ぶ)
自作のウォーミングアップの教材 その2(音程の取り方も学ぶ)
自作のウォーミングアップの教材 その3(音程の取り方も学ぶ)
自作のウォーミングアップの教材 その4(音程の取り方も学ぶ)
自作の右手の教材 その1 (音程の聴き方も学ぶ)
自作の右手の教材 その2 (音程の聴き方も学ぶ)
自作の右手の教材 その3 (音程の聴き方も学ぶ)
自作のビブラートの教材 (音程の聴き方と取り方も学ぶ)
自作の左手の教材 その1 (音程の取り方も学ぶ)
自作の左手の教材 その2 (音程の取り方も学ぶ)
ŠEVČÍK のある巻のある部分 (音程の取り方も学ぶ)
ŠEVČÍK の別の巻のある小節 (音程の取り方も学ぶ)
ŠEVČÍK の別の巻のある小節 (音程の取り方も学ぶ)
ある音階練習教本のある小節 (音程の取り方も学ぶ)
ある音階練習教本の他の部分 (音程の取り方も学ぶ)
YSAŸE の音階教本のある部分 (音程の取り方も学ぶ)
YSAŸE の音階教本の別の部分 (音程の取り方も学ぶ)
YSAŸE の音階教本の別の小節 (音程の取り方も学ぶ)
YSAŸE の音階教本の別の部分 (音程の取り方も学ぶ)
CARL FLESCH 音階のある部分 (音程の取り方も学ぶ)
CARL FLESCH 音階の別の部分 (音程の取り方も学ぶ)
エチュード (1曲全部ではなく、時には数段や数小節)
課題曲 (楽章全体ではなく、時には半分や数十段)
という内容でレッスンしています。
と書くと
箇条書き…というよりも
過剰過ぎ…と思われるかもしれません(笑)
けれども
各音の「正確な音」を「具体的」に一つひとつ認識し確認しながら
時には数段や数小節で具体的に指導しているので
エチュードと課題曲までの部分の総量は、エチュード1曲分程度しかありませんし
エチュードと課題曲それ自体についても、半分や数段や数小節ずつを徹底して復習い
エチュードと課題曲の部分も含めて総て、数週間~数か月にわたり同一内容に留め
部分ぶぶんで確実に仕上がらなければ一音たりとも先には進めず
部分ぶぶんで着実に習得していくので、課題としては決して過剰ではありません。
それに対して
曲を進めるというより、技術習得という名目で進捗を楽しませている某メソードや
曲を進めることより…と言いながら、実際はエチュードをある程度で次々に弾かせ
それを何巡も反復させることにより、曲は進めていないという掏り替えをしている
もはや詐欺紛いとしか言いようのない指導がされている例もあるようです。
では
部分ぶぶんで確実に仕上げていくのと、ある程度で次々に進めてしまうのでは
どちらがいいのか?ということを考えた場合
譬えるにキャンプ場などの屋外で汚れた衣服を洗濯することを考えた場合
汚れ落ちはある程度で次々に洗い進めてしまったり
シャツは洗い進めない代わりに、下着は汚れ落ちがある程度で次々に洗い進めて
それを何巡も反復させる…という洗い方の何れが綺麗に洗いあげられるかを考えれば
どちらがいいのか?ということに対する答えは明らかです。
というよりも
私のサイトに書いたように『ローデ/24のカプリース』は順番に指導しますが
それ以外のエチュードではŠEVČÍKがそうであるように
課題を番号単位ではなく小節単位で取捨選択して緻密に指導しなければならず
『二つ折りの紙』にも書いたように
建物の建築でも一つひとつ正しく積み重ねないと曲がってしまうように
演奏の技術でも一つひとつ正しく積み重ねないと狂ってしまい
一度でもおかしな癖が付いてしまうと、直すのが大変になってしまうか
ヴァイオリンで音程に傾聴することは即ち響きを得ようとすることでもあり
音程の追求=左手の練習であるだけでなく
音程の探求=右手の練習でもあることから
私のサイトのヴァイオリンの音程の取り方のページでも書いたように
ヴァイオリンで音程を探究する訓練こそが、
ヴァイオリンの演奏技術の根幹を成すものだといえます。
既掲のレッスン例も、その殆どにおいて「音程の取り方」を目的とし
毎週70~80分のレッスンで、大半は「音程の取り方」の訓練に費やし
毎週まいしゅう、繰り返しくりかえし、「音程の取り方」を訓練し続け
エチュードは長くても10分程、課題曲も長くても20~30分程度です。
カーネギーホールへ向かっていた人が、むこうからハイフェッツが来たので
カーネギーホールへ行くにはどうしたらいいのか?と尋ねると、ハイフェッツが
それに準えれば
「音程、音程、音程、音程、音程、音程、音程!」とも言えるレッスン内容で
そのうえでの
その際
既掲のレッスン内容の例において
セヴシックや、イザイや、カール・フレッシュの他に
ある音階練習教本のある小節 (音程の取り方も学ぶ)
ある音階練習教本の他の部分 (音程の取り方も学ぶ)と掲げましたが
その
ある音階練習教本というのは、既述のジョークで登場したハイフェッツに学んだ
エンドレ・グラナタ氏によって編まれた
THE HEIFETZ SCALE BOOK
そして
THE HEIFETZ SCALE BOOK
(ハイフェッツのスケールブック ハイフェッツの音階練習)は
別ページの記事でも書いたように
総てのヴァイオリニストにとって必修とされる課題が載せられていると
グラナタ氏も序文で述べています。
などといった課題も掲げられています。
という音階になります。
それは
第二に、運指において、自然ハーモニクスでは正しい音程でないと発音されず
第三に、運指において、自然ハーモニクスと技巧ハーモニクスの混在箇所では
触れるだけの指と押さえる指のそれぞれの制御により各指の独立性が訓練され
第四に、運指において、技巧ハーモニクスで指の拡張を求められる箇所があり
第五に、運弓において、滞りのない運弓でないと発音されず
楽器自体のウォーミングアップにもなるからです。
さらに
ハイフェッツは歴史的名教師であったレオポルト・アウアーの弟子で
THE HEIFETZ SCALE BOOK
(ハイフェッツのスケールブック ハイフェッツの音階練習)では
私のサイトのページでも書いたように
私も鷲見三郎先生、鷲見四郎先生と、アウアー直系の先生に長く師事していたので
既掲とは別のある課題こそが、アウアー派ならではの奥義を伝える音形だとわかり
そこにはアウアー直系ならではの響きが聴かれました。
ということで
THE HEIFETZ SCALE BOOK
(ハイフェッツのスケールブック ハイフェッツの音階練習)まで用いて
正しい音程で弾くための音階練習を只管にレッスンし続けているので
「音程、音程、音程、音程、音程、音程、音程!」とも言えるレッスン内容で
そのうえでの
「音階、音階、音階、音階、音階、音階、音階!」とも言えるレッスン内容だと
書きました。
そのように先ず「音程、音程、音程、音程、音程、音程、音程!」と訓練をし
その後において「音階、音階、音階、音階、音階、音階、音階!」と復習うのは
このブログで何度も書いているように
「日本語の用例集というのは、日本語を正しく綴る練習をするための教本」であり
「日本語の用例集を使うなら、日本語の文字の読み書きができていないと使えない」
のと同じで
「音階練習の教本というのは、音程を正しく奏でるための練習をする教本」であり
「音階練習の教本を使うなら、音程の取り方がわかっていないと使えない」
からです。
その際
“音階”は「基礎」であって「基本」ではないの記事中でも書いたように
ヴァイオリンをそのものとして奏で、まさしく弾くべく習っている人達というのは
「音階練習の教本を使うなら、音程の取り方がわかっていないと使えない」ことから
ヴァイオリンで響きを聴いて音程を確定させられる方法を習い訓練を受け続けていて
それをさらに確実に、着実に、凝固させて豆腐にするのと同じものを感じます。
にもかかわらず
『“音階”は「基礎」であって「基本」ではない』で書いたように
音程の取り方を習ってから音階を弾く…という当然のことも教われないような人達は
課題曲も勝手に選んで習ったりして、その段階や次の段階で学ぶべき課題も学べず
改善、効率、表情、運弓、バランス、などと尤もらしい口上を語って貰い
抽象的な世界で遊び、それで如何にも習ったつもりになってしまっているのですが
そのような有様の人に限って
豆腐も枝豆もビールのつまみになる(笑)と並べ立ててご満悦であるかの如くに
また
先生が勝手に他所で書いているばかりで、生徒の発表会の類は一切開かず
「習いに来たり、身近な人に見てもらったり、撮影するのも発表会」
などと唱えている書道の先生がもしも仮に居たりしたら
そのあまりの詭弁…というよりも屁理屈に、誰もが呆れる筈です(笑)
先生が勝手に他所で弾いているばかりで、生徒の発表会の類は一切開かず
「レッスンや、身近な人に聴いてもらったり、録音するのも発表会」
などと唱えているヴァイオリンの先生がもしも仮に居たりしたら
そのあまりの詭弁…というよりも屁理屈に、誰もが呆れる筈です(笑)
さらには
音程の取り方も教えずにチューナーを使い、使わせている…という非難を回避すべく
開放弦との共鳴で音程チェック…と唱えるも、それでは確認できる音程が限られ
結局はヴァイオリンの響きを聴いて音程を取る方法などわかっていない指導者が
既述のような詭弁…というよりも屁理屈を披歴している例まで有るのです。
では
既述のような譬え話では文字の書き方を教えてもらえていない…と誰でもわかるのに
既述のような教え方では音程の取り方を教えてもらえていない…とはわからない
そのような人が何故居るのかが、私にはまるでわかりません。
勿論
私の教室では音程の取り方としてこのブログで何度も書いているように
生徒さん方がヴァイオリンの響きで音程が取れるようになるのに伴って
「そうそう、天麩羅を揚げているような音が(微かに)聞こえますね」と言ったり
「そうそう、線香花火の音が(微かに)聞こえますね」と言って褒めますし
挙句に
ヴァイオリンで正しい音程が取れると美しい音が響くことや、そうした音に対して
「そうそう、天麩羅を揚げているような音が(微かに)聞こえますね」と言ったり
「そうそう、線香花火の音が(微かに)聞こえますね」と言うことについて
ヴァイオリンのそうした正しいレッスンを受けたことのない者のなかには
正しい音程が取れた際に天麩羅を揚げているような音が微かに聞こえる=潰れた音
正しい音程を選ぶ際に微かに線香花火のような音が聞こえる中から選ぶ=濁った音
などと誤想し曲解する者まで居たりするのです(笑)
つまり
せっかく好きで習い始めて真剣に学び奏でたい…と思っていたヴァイオリンで
リアリティとして本来のヴァイオリンの奏法や音程の取り方を習えている人と違い
イメージとしてそれっぽく(笑)語られ、それらしく奏でるだけの人達というのは
ですから
これも『“音階”は「基礎」であって「基本」ではない』でも書いたように
各音の「正確な音」を「具体的」に一つひとつ認識し確認しながら
「一音いちおん耳を傾けながら奏でる」訓練を受け続けることこそが
「確実な演奏」「きちんと正しくヴァイオリンを弾く」ことができる
唯一にして最短の方法であることを知って欲しいと願わずには居られません。
(狛江教室の近くの漢方薬局の入り口にあった看板です)
といっても
そもそもこのブログはブログの目次のページにも記したように
レッスンを申し込まれる判断材料として
レッスン方針・レッスン形態のページなどとも併せてご覧いただくために
書いているものですが、それすらさえ通じることなく
このブログを眺めて悦に入るだけ…という方も居るようなので(笑)
既述のようなことを呼びかけてみたところで、通じないのかもしれません。
残念です。
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