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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
私は
日本に生まれ育った日本人でも国語の専門家ではないので、詳しくはわかりませんが
「基礎・基本」という言い方はよく耳にするものの
「基本・基礎」という言い方は聞かないのは、単に語呂の問題ではないと思い
調べてみました。
すると
「基礎」=知識・技能。「基本」=認識・価値観。
「基礎」=客観的に把握できるもの。「基本」=人によってはさまざま。
「基礎」の上に「基本」ができる。
http://www.chigai.org/「基礎」と「基本」の違い/
と書かれているページがありました。
それは
このブログで何度も書いているように
「日本語の用例集というのは、日本語を正しく綴る練習をするための教本」であり
「日本語の用例集を使うなら、日本語の文字の読み書きができていないと使えない」
のと同じで
「音階練習の教本というのは、音程を正しく奏でるための練習をする教本」であり
「音階練習の教本を使うなら、音程の取り方がわかっていないと使えない」
のです。
ヴァイオリンをそのものとして奏で、まさしく弾くべく習っている人達というのは
「音階練習の教本を使うなら、音程の取り方がわかっていないと使えない」ことから
ヴァイオリンで響きを聴いて音程を確定させられる方法を習い訓練を受け続けていて
それに対して
ヴァイオリンをそれっぽく(笑)奏で、それらしく弾くだけの人達は
ヴァイオリンの響きを聴いて音程を確定させる方法など知らずわからず習わずに
えっ?
だいたいの手掛かりさえあれば、あとは感覚で求める音程は何とか取れる?
それは恰も最寄り駅がわかれば、あとは山勘で目的地に着けると言っているのと
同じようなもので
その場所への道順がわからなければ、求める場所には着けないように
その音程の取り方がわからなければ、求める音では弾けないままで終わるだけです。
そして
前の記事でも書いたように
単音は勿論、重音の音階練習の際にも私は生徒さんに対して
「そうそう、天麩羅を揚げているような音が(微かに)聞こえますね」と言ったり
「そうそう、線香花火の音が(微かに)聞こえますね」と言って褒める…ですとか
挙句の果てに
ヴァイオリンで正しい音程が取れると美しい音が響くことや、そうした音に対して
「そうそう、天麩羅を揚げているような音が(微かに)聞こえますね」と言ったり
「そうそう、線香花火の音が(微かに)聞こえますね」と言うことについて
ヴァイオリンのそうした正しいレッスンを受けたことのない者のなかには
正しい音程が取れた際に天麩羅を揚げているような音が微かに聞こえる=潰れた音
正しい音程を選ぶ際に微かに線香花火のような音が聞こえる中から選ぶ=濁った音
などと誤想し曲解する者まで居たりするのです(笑)
さらに
“音程の取り方を知らない” のでは?』で書いたように
ヴァイオリンの響きを聴き音程の微調整をする訓練を行い続けることによって
様々な楽器と合奏した際にも美しいアンサンブルが可能となるのに対して
『“一丁目一番地” は “一丁目一番地” だった ~その2~』で書いたように
ヴァイオリンの音程がどういうものかもわからず
ヴァイオリンの音程を明確に取れないような有様で
ヴァイオリンとは音程が異なるピアノや電子楽器やギターなどと合奏していると
つまり
せっかく好きで習い始めて真剣に学び奏でたい…と思っていたヴァイオリンで
リアリティとして本来のヴァイオリンの奏法や音程の取り方を習えている人と違い
イメージとしてそれっぽく(笑)語られ、それらしく奏でるだけの人達というのは
では
何故、音程の取り方も知らずわからず習わずに音階を復習ったりしているのか?
何故、音程の取り方も教えずにチューナーを使い、使わせる指導者に就いたのか?
何故、開放弦との共鳴…などと尤もらしく言われただけで納得してしまうのか?
と書くと
そんなことはない!自分は真剣に考えて先生を選んだ…などと言われそうですが
にもかかわらずヴァイオリンは響きを聴けば総ての音で音程が確定させられ
それはあたかも線香花火のような音がする…ということが理解できないのは
以前の先生よりも現在の先生が相対的に多少マシなだけな場合もあれば
しっかりと目を見開いて客観的に判断したつもりでも、結局は下掲のような有様
(狛江教室の最寄り駅のひとつの つつじヶ丘駅前に停まっていたバスです)
客観的な判断ができていないに等しい事態に陥っているのではないかと思います。
その結果
リアリティとしてそのものとして奏で、まさしく弾くように習っていたつもりが
イメージとしてそれっぽい(笑)だけで音楽とは名ばかりの狂った演奏しかできず
それがヴァイオリンの難しさだと勘違いしているのは何ともお気の毒な限りです。
そして
音程の取り方を習ってから音階を弾く…という当然のことも教われないような人達は
課題曲も勝手に選んで習ったりして、その段階や次の段階で学ぶべき課題も学べず
改善、効率、表情、運弓、バランス、などと尤もらしい口上を語って貰い
抽象的な世界で遊び、それで如何にも習ったつもりになってしまっているのです。
是非とも
「宿命」=生まれる前に決まる。「運命」=生まれた後に決まる。
「宿命」=変えられない。「運命」=変えられる。
「宿命」=避けられない。「運命」=避けられる。
http://www.chigai.org/「宿命」と「運命」の違い/
ということで、運命を変えてみて欲しいと思います。
各音の「正確な音」を「具体的」に一つひとつ認識し確認しながら
「一音いちおん耳を傾けながら奏でる」訓練を受け続けることこそが
「確実な演奏」「きちんと正しくヴァイオリンを弾く」ことができる
唯一にして最短の方法であることを知って欲しいと願わずには居られません。
(狛江教室の近くの漢方薬局の入り口にあった看板です)
といっても
そもそもこのブログはブログの目次のページにも記したように
レッスンを申し込まれる判断材料として
レッスン方針・レッスン形態のページなどとも併せてご覧いただくために
書いているものですが、それすらさえ通じることなく
このブログを眺めて悦に入るだけ…という方も居るようなので(笑)
既述のようなことを呼びかけてみたところで、通じないのかもしれません。
残念です。
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