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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
と弾く場合
の音は
として
の
の音は
の
開放弦を基準に
の音は
として
の
の音は
として
の
加えて
ではなく
また
既掲のように
の音は
の音も
さらに
の
開放弦を基準にして
として
の
開放弦を基準にして
として
調和するように重音を弾いて導いた
の音程では
最終的には正しい音程を取る際に既述のように一々重音で導かずとも
このブログで何度も書いているように
生徒さん方がヴァイオリンの響きで音程が取れるようになるのに伴って
「そうそう、天麩羅を揚げているような音が(微かに)聞こえますね」と言ったり
「そうそう、線香花火の音が(微かに)聞こえますね」と言うようになり
絶対音感でもなく相対音感でもなく線香花火音感?!』でも書いたように
ヴァイオリンでは同じ音符でも重音、旋律、旋律の前後関係で音程が異なりますが
何れの音程にするのかは線香花火の音がする音程から選べばいい
また
上記のようなヴァイオリンとしての音程の取り方こそが楽器としての音色をもたらし
こうしたヴァイオリンをヴァイオリンとして響かせることが説得力のある音を生み
こうしたヴァイオリンの音程として音を配して初めて音楽の土俵に立てるとともに
上記のように響きを聴き音程の微調整をする訓練を行い続けることによって
様々な楽器と合奏した際にも美しいアンサンブルが可能となります。
ということで
上記の例では、ヴァイオリンの単音の音程の取り方の一例として掲げましたが
前の記事では、ヴァイオリンの重音の音程の取り方についても触れていて
いずれにせよ
ヴァイオリンの音程はヴァイオリンの響きを聴いて取るものであるとともに
ヴァイオリンで正しい音程が取れると美しい音が響くことや、そうした音に対して
「そうそう、天麩羅を揚げているような音が(微かに)聞こえますね」と言ったり
「そうそう、線香花火の音が(微かに)聞こえますね」と言うことについて
ヴァイオリンのそうした正しいレッスンを受けたことのない者のなかには
正しい音程が取れた際に天麩羅を揚げているような音が微かに聞こえる=潰れた音
正しい音程を選ぶ際に微かに線香花火のような音が聞こえる中から選ぶ=濁った音
などと誤想し曲解する者まで居たりするのです(笑)
挙句に
既述のように響きを聴いて音程を取ることを知らずわからず教えられず
ヴァイオリンの音程が狂うというよりヴァイオリンの音を外してしまうような人が
音を外してしまうくらいなら、チューナーを…とチューナーを使い、使わせ
音を外してしまうくらいなら、チューナーで平均律の音程が取れたほうが良い
などと言い出すのです。
ヴァイオリンの音程の取り方を知らず、響きも聴かずにチューナー…などという
そんな有様では音程が何時までも正しく取れない…というより音を外し続けますが
それは恰も
車の進行方向は車の正面を見ればわかるのに
車のハンドルによる操作方法が解らず、正面も見ないでGPS…というのと同じで
そんな有様では運転が何時までも正しくできない…というより事故を起こします。
ヴァイオリンの練習では何よりもヴァイオリンの響きを聴くことこそが重要で
ヴァイオリンの演奏では何時でもヴァイオリンの響きを聴き続けますが
それは恰も
車の教習では何よりも車の正面を見るようにすることこそが重要で
車の運転では何時でも車の正面を見続けるのと同じことなのです。
えっ?
車も自動運転技術が進めば、正面を見ないどころか運転も完全に車任せにできる?
それと同じでヴァイオリンも、響きを聴かないどころか演奏も完全に任せられる?
確かに
車よりも遥かに昔から存在するヴァイオリンは、車よりも遥かに進化していて
車と違ってもう既に自動演奏のヴァイオリンが存在するのです。
というのは
いくらなんでも冗談ですが(笑)
ヴァイオリンという自ら音程を作る作音楽器では音程の取り方は基礎中の基礎で
その指導には正確な知識と緻密な観察に基づく訓練の反復が必須にもかかわらず
そうした指導を受けられない者や、そうした指導を受けたことがない者が巷に溢れ
兎に角ひいて弾いて弾きまくって徐々にそれっぽい音程に近づけているような人が
アマチュアのみならず音大卒生やプロのなかにも大勢居るという現実があります。
さらに
『ヴァイオリンの重音の音程の取り方 ~その2~』で書いたように
音程の取り方も知らずわからずに音階練習の教本を闇雲に教える先生?に限って
手の形、響き、音色、説得力、音楽、などと尤もらしい口上を連ねますが(笑)
それは具体的な音程の取り方を知らず語れないが故に他のことを尤もらしく語り
抽象的な世界に逃げ込み、それらしく装っているだけでしかないのです。
ところが
『SCALE SYSTEM 更なる音程の追求』で書いたように
素人というのは、その物事の素人の話にこそ共感してしまい
素人というのは、その物事の素人が玄人っぽく語ると感心してしまうこともあり
そうした詐欺紛いに、それっぽく(笑)語り、それらしく教えているような者に
就いてしまう初心者が居たりするのです。
そして
既述のようなヴァイオリンならではの音程の取り方は知らずわからず習わず
それっぽい(笑)だけで音楽とは名ばかりの狂った演奏しかできず
それがヴァイオリンの難しさだと勘違いしている人達は何ともお気の毒な限りです。
ということで
ヴァイオリンをそのものとして奏で、まさしく弾いている私達からすれば.
ヴァイオリンをそれっぽく(笑)奏で、それらしく弾くだけの人達は
何故そのおかしさに気づかないのだろう?と不思議で仕方がありません。
同じ言様でありながら、その認識が異なることから、得られる結果も全く異なる点で
一見すると同じようにヴァイオリンという楽器を復習っているようでも
実際には全く別世界でヴァイオリンという楽器に携わっているのでは?と思えるほど
更に不思議に感じてしまうことがありますが
そうした認識の違いを掛け算に譬えると
ヴァイオリンをそれっぽく(笑)奏で、それらしく弾くだけの人達は
九九というものを習わないかの如くに、響きを聴いて音程を取ることを知らず習わず
九九の計算結果を暗中模索する如くに、録音したりして何となく判断するだけなので
5×2 = 8
5×4 = 22
5×6 = 32
5×8 = 38 のように
それが徐々に
5×2 = 9
5×4 = 21
5×6 = 31
5×8 = 39 のように
(牛っぽい馬…というだけで、牛ではないのです)
それに対して
九九というものを習っているかの如くに、響きを聴いて音程を取る方法を習っていて
九九の計算結果を正解として得る如くに、正しい音程を並べることが音階練習なので
5×2 = 10
5×4 = 22
5×6 = 32
5×8 = 40 のように
それが徐々に
5×2 = 10
5×4 = 20
5×6 = 32
5×8 = 40 のように
“正解の音が増える”と「音程が良くなってきた」として
つまり
初歩の段階から冒頭既述のような響きを聴いて音程を確定させる訓練を受け
“音程が悪い” というのは 正しい“ 音程が取れている音が少ない”すなわち
音程の正誤がわかっていて、音が外れている個数を客観的に言い表しています。
それに対して
初歩の段階から今現在に至るまで響きを聴いて音程を確定させる訓練など受けず
“音程が悪い” ということもまた 曖昧に“音程が大きく外れている”すなわち
そして
前の記事だけでなく、このブログで何回も掲げているように
例えば
「日本語の用例集というのは、日本語を正しく綴る練習をするための教本」であり
「日本語の用例集を使うなら、日本語の文字の読み書きができていないと使えない」
のと同じで
「音階練習の教本というのは、音程を正しく奏でるための練習をする教本」であり
「音階練習の教本を使うなら、音程の取り方がわかっていないと使えない」
のです。
加えて
ヴァイオリンをそれっぽく(笑)奏で、それらしく弾くだけの人達は往々にして
エチュードにしても曲にしても、繰り返し弾くことで習熟すると誤解していますが
そのようなやり方では
兎に角ひいて弾いて弾きまくって徐々にそれっぽい演奏に近づけるだけなのです。
そのため
「明けましておめでとうございます」を目指して徐々にそれっぼく(笑)してみても
「焼けましておめでとうございます」にしかならないかの如くに
ヴァイオリンをそれっぽく(笑)奏で、それらしく弾くだけの人達は
ヴァイオリンの音程についても響きを聴いて取ることを知らずわからず習わず
ヴァイオリンの演奏技術も周辺的なことこそを語り、薀蓄を傾けることに終始し
ヴァイオリンの楽器に留まらず弓の選択でも、響きでの音程の取り易さといった
奏法上の観点で選ぶことはできずに、楽器マニアの観点で論じるばかりで
プレーヤーでなくリスナーに毛が生えただけの選択しかできないのです。
同様に
ヴァイオリンをそのものとして奏で、まさしく弾いている人達というのは
一音いちおん、一音形ワンフレーズごとに、明確に弾き重ねていきます。
そのため
「明けましておめでとうございます」を目指して一つひとつ弾き重ねていくことで
そして
ヴァイオリンをそのものとして奏で、まさしく弾いている人達は
私のサイトの「ヴァイオリンの音程の取り方」のページにも書いたように
ヴァイオリンの音程を取る際には響きを求めることから、
運指(左指)だけではなく運弓(右手)の技術も必要となるので
ヴァイオリンの楽器に留まらず弓の選択でも、響きでの音程の取り易さといった
奏法上の観点で選び、さらに一層ヴァイオリンをヴァイオリンとして奏でられる
リスナーでなくプレーヤーとしての選択ができるのです。
ですから
以前の記事で書いたように
せっかく好きで習い始めて真剣に学び奏でたい…と思っていたヴァイオリンで
リアリティとして本来のヴァイオリンの奏法や音程の取り方を習えている人と
イメージとしてそれっぽく(笑)語られ、それらしく奏でるだけになっている人では
もちろん生徒さん方も
目的とする正しい音程がわかっていて、正しい音程だけが並ぶことを目指しつつ
イメージとしてそれっぽい(笑)だけで音楽とは名ばかりの狂った演奏ではない
リアリティとしての正確な演奏技術で音楽を奏でられるようになっています。
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